100年を超える歴史

企業保険のエキスパートとして日本の産業とともに発展

共立は1910年に日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)の関係会社として発足しました。1932年に「共立」と社名を改め損害保険代理業務に進出、以後、企業保険分野におけるリーディングカンパニーとして、業界を牽引してきました。

1970 年代にはその後のグローバル化の流れを先取りし、海外保険ブローカーとの業務提携、香港への保険ブローカー設立など国際業務に進出。さらに90年代は、規制緩和、保険の自由化という新たな時代のトレンドを迎え、「共立インシュアランス・ブローカーズ株式会社」(KIB)を設立。

2000年代以降は「共立リスクマネジメント株式会社」(KRM)を設立したほか、海外ネットワークを強化しアジア5拠点体制を確立。2009年には創立100周年事業の一環として、日本橋に新社屋が完成。保険代理店のトップブランドとして、新たな100年のスタートを切りました。

100年の歩み

創立~鉱山経営の時代

1910年の創業当時、長崎県の波佐見金山を運営していた頃の社屋。社名は「波佐見鉱業株式会社」でした。1916年には、岩手県の鷲之巣鉱山を取得し、このときに社名を「共立鉱業」に改称しました。

波佐見金山全景
1910年(明治43年)

日本興業銀行の関係会社(鉱山経営会社)として設立

保険部門の創業・発展

昭和初期に起きた産業恐慌に対応すべく、損害保険業に本格的に乗り出し、社名を現在の「共立株式会社」としました。戦後、順調に業容を拡大し、1972年には本店ビルが竣工しました。

旧本店ビル
1932年(昭和7年)

「共立株式会社」と改称、損害保険代理業を創業

1969年(昭和44年)

生命保険業務開始

業容拡大と国際業務の展開

70年代に入ると、日系企業の海外進出に対応するため、海外の有力保険ブローカーと提携し、国際的なサポート体制を構築しました。また、国内では成田国際空港や東京湾横断道路といった巨大プロジェクトにも参加しました。

※写真提供:成田国際空港
1975年(昭和50年)

日本の保険代理店で初めて香港に保険ブローカーを設立

1995年(平成7年)

上海駐在員事務所開設

保険自由化時代

1996年の「保険自由化」により、保険業界は大競争時代に突入しました。これに対応すべく保険仲立人の設立、リスクマネジメント部門の分社化など顧客対応力の強化を図りました。また日系初の独資による保険ブローカー「上海共立」の設立など、アジアを中心に海外ネットワークの強化を行いました。2009年には当社創立100周年記念事業である新本店ビル(共立日本橋ビル)が竣工しました。

共立日本橋ビル
1996年(平成8年)

規制緩和と同時に保険仲立人、「KIB」を設立

2001年(平成13年)

リスクマネジメント専門会社「KRM」を設立

2007年(平成19年)

日系初の独資による保険ブローカー「上海共立」営業開始

2009年(平成21年)

新社屋「共立日本橋ビル」が竣工

2012年(平成24年)

日系初の独資による元受保険ブローカー「シンガポール共立」営業開始

2017年(平成29年)

元受保険ブローカー「タイ共立」(合弁会社)営業開始

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